伏見 電車 たち

(奈良電・京阪の相互乗り入れ)


伏見を廻る鉄道の歴史を調べてみました
まず、日本で初めて電車が走った頃から現在までの大まかな様子です


● 明治28年1月31日、まず京都電鉄(チンチン電車・七条〜油掛)が開業。

 伏見地区の土地買収がスムーズにいったため、伏見が日本で一番乗り!

● 明治29年4月18日、奈良鉄道(七条〜奈良)が営業を開始します。

 明治41年に国有化。
国鉄(JR)本線は、大正10年に東山トンネルが開通するまで、山科から大岩街道沿いに行き、稲荷駅から京都駅に入ってました。
その後、国鉄本線が伏見から北へ移り、残った線路と奈良鉄道の線路とを、稲荷駅から桃山駅間に新しく引いた線路で繋ぎ、国鉄奈良線として開業されました。
(残った奈良鉄道の、伏見駅から京都駅間の線路は後に奈良電に払い下げされます)

● 明治43年4月15日、京阪電鉄が(五条〜天満橋)の営業を開始します。

● 大正2年6月1日、京阪電鉄宇治線(中書島〜宇治)が営業を開始します。

 当初の計画では、中書島を出て直ぐに宇治川を渡り、川の南を宇治まで行く予定でしたが、明治天皇陵が桃山につくられたので北側のルートに変更された。

● 昭和3年11月3日、奈良電鉄(桃山御陵〜西大寺)が営業を開始します。

● 昭和3年11月15日、奈良電鉄(桃山御陵〜京都駅)が営業を開始します。

● 昭和20年12月21日、京阪が(丹波橋〜京都駅)乗り入れ開始。

● 昭和32年7月、奈良電鉄が(丹波橋・三条)乗り入れ開始。

● 昭和38年10月1日、近鉄が奈良電を吸収合併。

● 昭和43年12月20日、京阪電鉄と奈良電鉄が相互乗り入れを廃止。





では、もうちょっと詳しく…





 まず奈良鉄道(グリーンの点)というのがあって、この施設を後にいくつかの鉄道が利用しました。
 大正時代ぐらいまでは、伏見停車場から桃山停車場まで線路がつながっていたらしいです。
 今は、堀内駅(現近鉄丹波橋駅)とごこんさんの北東を斜めに結ぶ線路は跡形もありません。
 なお、昔は桃山のあたりは、紀伊郡堀内村と呼ばれていた。





 奈良電はもともと西大寺と宇治とを結ぶ計画だったが、旧奈良鉄道が払い下げられたため急遽京都駅乗り入れに変更された。
 西大寺から小倉辺りまでは順調に進みましたが、伏見の町を通るのには色々と障害があったようです。
 とはいえ、昭和3年11月15日に無事、全線開通します。

 その後、奈良電と京阪は、丹波橋以北で相互乗り入れをすることになる。
 主な理由として、レール幅が同じで、車体もほぼ同じ、架線の電圧も600ボルトで同じということだったらしい。
 当時は戦時中であり、より多くの輸送ルートがあったほうが、物資の運搬に役立つという軍の意向もあったようだ。





さらに詳しく…

ここで地図上のナンバー入りの写真が見られます

下記の地図は、上下を50%に縮小しています





 桃山御陵前駅を出た奈良電は、直ぐに(A)地点から乗り入れ線に入り、京阪丹波橋駅の2番ホームに入ります。
(ホームは西から1,2,3,4番です)
 また、京都駅から来た奈良電は、(F)地点で京阪の軌道を潜ったら直ぐに右に曲がり4番ホームに入ります。
 当時(F)地点から奈良電の堀内駅までの奈良電本線は取り払われていましたが、桃山御陵前駅までの線路は残されていました。

 私「うしさん」は、小学校の頃何時もこの辺で遊んでました。
 枕木が堆く積まれてたのや、機材運搬用のトロッコが走ってたのを覚えてます。





 奈良電は昭和38年に近鉄との合併後も、駅の共有化で、乗り替えには便利だということで、しばらくは相互乗り入れが継続していた。
 そのうち電車の本数も増え、平面交差がネックとなり(京阪が優先なので、近鉄は駅の手前で待たされた)、さらに近鉄の車両の大型化による電圧のアップ(近鉄は1500ボルト、京阪は600ボルト)などもあり、43年に相互乗り入れは廃止された。





 伏見を廻る鉄道、特に奈良電(現近鉄)のことを中心に調べてみました。
 当時の伏見は軍隊の町としての顔を持っており、軍の意向に沿った町造りがなされていました。
 鉄道も然りです。
 また、明治天皇が伏見城天守跡に埋葬されたことも影響しています。
 それに、お稲荷さんも外せませんし…
 電車も色々と気ィ使いますねぇ〜

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