巨椋池 (おぐらいけ)
回目
プロローグ












おほくらの
●●●いりえに とよむなり
●●●●●●●●●●いめびとの

●●●●●●ふしみが たいに
●●●●●●●●●かり わたるらし

 のどかな巨椋池の水辺で、
 狩人の射た弓の音に驚いて
 飛び去る水鳥の姿が思われます。



 伏見は、山城国の中央部にあり、最も低い所に位置している。
 その南部には、昭和16年に干拓を完了した「巨椋池」がありました。

「巨椋池」は、太古に京都盆地をすっぽり覆っていた「旧山城湖」の名残である。

 洪積世第三期末から第四期にかけての激しい地盤の変動(この地殻変動がもっと大規模に起こっていたら本州は東西に別れていたかも?)によって出来た凹地に水がたまったものである。
 やがて周りの河川が運んでくる土砂の堆積によって、この湖水はしだいに狭められ、さいごに一番低いところが巨椋池として残った。

 地形学的に見ても、東西と南北に走る構造線が巨椋池辺りで交わり陥没していて、一大地溝の中心部に当たる訳で、日本はもとより世界の文化が伏見に向かって集まってくると言うことになるのである。

 巨椋池の基本的な性格と特徴は、淀川水系の中流域にあって洪水調節の機能を担い、水量によって大きくその形を変える遊水池というところにある。

「巨椋池」の名の由来ですが、「大椋」「巨椋」と称する部族がいたからとか、巨椋神社の社号が地名となり、池の名に転用されたとも言われている。


 巨椋池は河川交通の中心であったのは勿論のこと、魚や水鳥が豊富で、夏には蓮の花が咲き乱れるという自然の恵みが、洪水の危険にもかかわらず、池のまわりに沢山の集落が存在したということでしょう。












現在の巨椋池干拓地







巨椋の入江の月のあとに 光のこして螢とぶなり

(続古今集 藤原爲平)


 美しかった巨椋池の姿はもう見られません。

 今日、干拓地の田んぼの中に立つと、昔、伏見らしく自然豊かに生活した当時の人々の様子が思われます。

そんな思いで見渡せば、

 人間らしい暮らしを懐かしむ私たち現代の人々の思いが泉のように湧き出て、またこのあたりを昔の巨椋池のように、見渡すかぎりの美しい水で満たしてくるように思えてきます。


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 次回は「巨椋池、そのなりたち」の予定です。



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