地名シリーズ
中書島(東・西柳町)




上の絵は「円山応挙」による1700年頃の京橋の船着き場などの様子を描いたものです。
手前にあるのが中書島で、そこから右に延びている橋が「蓬莱(ほうらい)橋
(当時、川幅が今よりずっと広く、長さは75メートル位ある太鼓橋だった)
左の方が「今福橋」(この橋が架かっていた派流は、戦後埋め立てられ今はありません)
正面に架かっているのが「京橋」です。
京橋と蓬莱橋との間の浜に沢山の舟が着いて荷の上げ下ろしをしていますね。
当時は、川幅も広くて水量も豊富で、川の流れも速く、今とは逆に右から左へと流れてました。







俗称を「中書島」と言って、正確には「東柳町・西柳町」その南、京阪中書島駅までを「南新地」と言います。

伏見城築城時は、渡る橋もなく本当の離れ島だった。抜粋古絵地図を参照して下さい。

名前の由来なんですが、秀吉在城当時から元禄の初めまで、この島には「朝散太夫中書少郷脇坂淡路守」の邸宅があり、当時伏見の住民から脇坂候のことを「中書さん」と呼んでいたことからきています。
「中書」とは今で言えば文部大臣のような役職を中国式に言ったものだそうです。








元禄12年(1699)に第20代の伏見奉行に就任した「建部内匠頭」は考えたのである。

伏見の人口は、秀吉時代の6万人から、諸大名の江戸移転や町民の大坂への集団移住、それに慶長14年の大火災などで3万人位に減っていた。 ただ、その伏見を支えていたのは、水上運輸と宿場であった。 それで建部さんは、伏見復興の為、まず観光事業を活発にしようと、荒廃して葭が雑生していた中書島に阿波橋の西の方にあった、柳町(通称泥町)の傾城郭を名前と共に移転させ、東柳・西柳とし、又民家も建築させ、今福橋と蓬莱橋を架け、島への交通の便を良くして旅客の誘致を図った。
この中書島遊郭は創立当時(元禄時代)忽ち三十石船の船客らの人気を呼び全国的に有名になり、京都島原に次ぐものとなった。 全盛時には、400人程の遊女がいたと言われてます。




儒学者の貝原益軒の「京めぐり」と言う紀行文により、全国的に、吉野の「桜」とならび当時の伏見の「桃」が有名になり、「桃」見物の旅人が、大勢訪れるようになりました。


何故「桃」なのかというと、伏見城が跡形もなく破棄された後、周りの丘陵地は荒廃し稲作も出来なかったので、桃の苗を大阪より移植して桃の実を売る(当時の大阪果実市場で伏見の桃が大人気だった)ことで生計を立てることになり、それで伏見の山中が桃の木だらけになった言うことです。


まあ、そんなこんなで、大旅行ブームにも乗り伏見の町は活気を取り戻したのである。
西国大名の参勤交代の通り道ということや、また浪曲でお馴染みの森の石松や、落語のキーやんと清吉とか、松尾芭蕉さん等々が観光客として伏見に来たりして町中大変な騒ぎだったようです。

この時代あたりから、「伏見山」のことを「桃山」と呼ぶようになったのである。




「南新地」は、中書島の南の方に開けた新地(遊郭のあるところ)からこの名となりました。
その後「南新地」には、明治43年 京阪電車開通により中書島駅ができ、さらに大正3年、市電が中書島まで延長され、伏見の南玄関として、脚光を浴び、大歓楽街となった。








(長建寺)


朱色の土塀で
いかにも「色街の弁天さん」という
感じがします。


下は
時を告げる釣り鐘です。
(実はハリボテです)






 こうして建部さんは、伏見繁栄を計ると共に、町民の長命息災を念じ「長建寺」(建部が長命を願う)を建立した。
さらに、「時は金なり」と言う事から、長建寺と御香宮に時報の鐘楼を設置し、又非常の際の警報にも利用した。

他に、飢饉の年には、非常保有米1500俵を放出し、伏見住民から尊敬されていた。





 左にいらっしゃる色っぽい方は「八臂弁財天」と言います。
普通弁天さんは両手で琵琶を抱いておられますが、この本尊さんは、8本の腕で器用に楽器をこなす、ということかな?

 この寺は当時周りの住民から「島の弁天さん」と親しみをこめて呼ばれて、芸事の向上のためにおまいりする人も多かったと言います。







下の写真は、7月21日に、長建寺の「弁天祭」の一貫として、
前の弁天橋のたもとで篝火のもと催された子ども等の
「弁天囃子」の演奏風景です。




戦後には、廃止されたんですが、
大阪の天神祭に比べられるほどの賑やかさで
長建寺・弁天祭の「舟渡御」が行われたそうです。

「舟渡御」の順路をここに示してます。






私が高校生のころ(30年以上前)中書島には、まだそういう雰囲気の残っている造りの二階屋がチラホラとあったのを覚えてます。

戦前生まれの方たちは「中書島」というより「新地」という呼び名の方が耳なじみですかねえ?


ここで唐突に「伏見小唄」(西条八十作詞・中山晋平作曲)の七番をご披露します。


恋の架け橋 渡るにゃ怖し
●●越さにゃ 愛しい あの妓に逢えぬ
●●●●●●●●●●●●●男泣かせの 中書島


●●●●● ヤレヨイヨイ ヨイサッサ
●●●●●●●●●●トーコトントン トンヤレナ
●●●●●●●●●●●●●トコトントン トンヤレナ


この橋は蓬莱橋のことで元禄時代に架けられた当時は無茶苦茶揺れたそうです。




さて、次回は宇治川派流界隈の様子や、油掛通りから京町あたりまでの賑わいを見てみましょうか?





なお、参考にさせてもらってる本は「紀伊郡史」「伏見町史」「伏見の町名の由来」などです。



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